デカルト、ホッブズ、スピノザ  哲学する十七世紀

デカルト、ホッブズ、スピノザ  哲学する十七世紀

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■商品説明

「私はある、私は存在する」……デカルト
「「私」はこの身も心も神でできている」……スピノザ
「人はなぜ人に服従するのか」……ホッブズ
「機械的なもの」と「魂あるもの」が重なり合う十七世紀の哲学世界! 

近代哲学の祖とされ、「心身二元論」に拠ったデカルト。国家契約説をとなえ、「万人の万人に対する戦争」で知られるホッブズ。「神即自然」を主張したスピノザ。十七世紀の哲学シーンを彩る三人の思索は、動乱期のヨーロッパを生きたゆえの魅力にあふれている。神、国家、物体と精神……、根本問題をめぐる三様の思索を、鮮やかに浮き彫りにする。

「十七世紀は「機械論」の世紀であった。が、ただの機械ではない。機械的な存在が自生し、産出し、ものを言うのである。それは「合理主義」という名から想像される以上に不気味な、「存在論的機械論」とでもいうべきものの出現であったと私は思う。機械的な存在が主観の対象の側に客体として仮構されてある、というのではない。むしろ、自分は別なふうに存在しているのかもしれぬという隔たりをわれわれ自身のただなかに開く、そういうものとして機械的なものはある。――」<「ものを言う首」より>

※本書の原本『精神の眼は論証そのもの』は1999年、学樹書院より刊行されました。

【目次】
ものを言う首――序にかえて
残りの者――あるいはホッブズ契約説のパラドックスとスピノザ
意志・徴そして事後――ホッブズの意志論
スピノザと敬虔の文法――『神学政治論』の「普遍的信仰の教義」をめぐって
スピノザの聖書解釈――神学と哲学の分離と一致
われらに似たるもの――スピノザによる想像的自我およびその分身と欲望
精神の眼は論証そのもの――スピノザ『エチカ』における享楽と論証
デカルトにおける物体の概念
無数に異なる同じもの――スピノザの実体論
スピノザの今日、声の彼方へ


著者
上野修(うえの・おさむ)
1951年京都府に生まれる。大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。哲学・哲学史専攻。現在、大阪大学教授。国際哲学雑誌Studia Spinozana編集委員。

■著者

【上野 修著】

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